今年は、アトリエコーナスが、作業所活動(since1993)を始めて30年になります。
前だけを見て、夢中で歩み続けてきた私たちですが、
これまでを振り返る時が来ました。
そんな折、大阪府主催・国際交流センタービッグアイ企画の
「about me 6~“わたし”を知って〜この町で生きる」のお話があり
昨年12月梅田の「Lucua1100」で展示が実現しました。
開催までに、ビッグアイの鈴木京子様や美術家の中津川浩章様はじめ、
実行委員の方が何度もアトリエに足を運んで下さいました。
40年前の「親の会」や、共同作業所時代の懐かしい写真やエピソードに盛り上がり、
古い通信記事にも興味を持って下さいました。
結果、私たちが過ごした場・人・時間が一つのものになった
素晴らしい展示になりました。
これまでの事が走馬灯のように蘇り、胸が一杯になりました。
展覧会に関わって下さった皆様、ご来場くださった皆様、改めてお礼申し上げます。
なお、美術家の中津川浩章様が、
ご寄稿下さった文を(ご了承を得て一部割愛)掲載させて頂きます。
白岩髙子
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展覧会 about me 6~わたしを知って~この町でいきる
展示テキスト 美術家 中津川浩章今回の展覧会で取り上げるのは阿倍野にある「アトリエコーナス」です。
アトリエコーナスは阿倍野駅近くの共立通という路地にあります。
人が住み暮らす息づかいが濃密に感じられる細く長い路地。
隣り同士助け合って生きる昭和の下町のなつかしい匂いがする町並み。
その共立通にメインの施設である「アトリエコーナス」があり、
そしてコーナスの学校/自立訓練「Art-Labox」、
就労継続支援B型「ArtLab-Next」、グループホーム「ベイトコーナス」、
メンバーが働く「キクヤガーデン」などが近隣に点在しています。
まさに路地とともに生きる、地域とともに生きる福祉施設です。
アートで評価され知られる存在になったとはいえ、
障害がある人のたいへんな日常生活に変わりはありません。
ふらふらと外に出てしまい道に迷ってしまったり、
転んでケガをしたり、買い物しにいってお財布を忘れたり。
それでも「おっ!この人はコーナスのメンバーの人や!連絡しよっ!」と言ってくれる人がいること。
だれがどこで暮らしているか近所の人たちが知っていてくれること。
地域の一員としてあたりまえに見守られながら安全に暮らせることが大切なのです。
コーナスのメンバーはこの共立通で定期的に掃除のボランティアをしています。
アート活動がすばらしくても、イギリスでの展覧会に招かれ出展しても、
作品が売れて高名なコレクションに収蔵されても、
地域の人はほとんどそのことを知らないかもしれません。
それよりも掃除のボランティアによって、メンバーは存在を知られ
存在を認めてもらい地域に根をおろして生きていくのです。
設立当時、無認可の共同作業所をともに始めた
保護者達と運営資金作りのためのバザーを頻繁に開催し、
その忙しさや想像を超える肉体労働の辛さに離脱する方もいたそうです。
日本キリスト教団の保育園とのつながりでアドバイスやサポートを受けながら、
少しずつ福祉施設としての役割を整えていく。
その流れのなかで、ねじ回しやマット作りの内職作業から、
当時少しずつ注目されつつあった障害者の表現/アート活動へと大胆にかじを切る。
そこからコーナスの快進撃が始まります。
数々の展覧会で受賞し注目され、大きな美術館での企画展。
デザイン会社と作品を使ったコラボレーション。
イギリスでの展覧会など海外での評価も高まっています。
メンバーたちはマイペースながらも
そんな変化を淡々と受け入れ楽しんでいるように感じられます。
人は表現することで何を得るのか。何のために、なぜ表現するのか。
その人にとって表現がどのような意味を持つのか。
生きることと表現することは深くつながっています。
ファッション誌から抜け出たような女性を描く「植野 康幸」。
蛍光ピンク、華やかさ、かわいいものが大好き。
フェルトで人形も作る。最近では雑誌の中の
あこがれの写真をスケッチブックにスクラップ。
パーテーションで区切られたプライベート空間の中は、
壁にも机の上にも好きなもので溢れている。
円形のシールを絶妙な重ね具合で貼っていきクリスマスツリーを作る「大西 祐史」。
つくり始めたころはカラフルで樹の幹の部分も表現されていた。
続けていくうちに幹が消え、色数が絞られ、
行為性とシルエットの強さが引き立つようになった。
絵具にボンドを混ぜ絶妙な膨らみ感を生み出す「清原 雅功」。
その形象はカラフルでポップ、記号のようなフォルムを持っている。
そして画面の片隅にはなぜか赤塚不二夫のキャラクターが登場する。
またカラフルで透明感があるマウスピースも作る。
アイロンビーズを使って作品を作る「土谷 紘加」。
アイスクリームのイメージがベースにあるようだが、
その構成や色彩、少し解けてつながっている質感が魅力的。
アイロンビーズを使うアーティストはほかにもいるが、
数そしてクオリティで突出している。
作品をつくる/かたちを彫り出すというよりも、木片を彫り続ける
行為自体に集中しているように見える「清水 和香奈」。
永遠に彫り続けて木片が消えてしまうのではないかと思えてくる。
届ける相手がいない手紙のような詩のような呟きにも心惹かれる。
こうした作家たちの作品は、支援する人たちの声掛けや他愛もない挨拶、
目を合わせたりあえて目線を外して語りかけたりといった
コミュニケーションの中から生まれてきます。
近代美術の文脈では、作品はあくまでも個人に帰するべきものとされていますが、
障害がある人たちの場合は少し事情が違ってきます。
制作自体は一個人の表現行為ですが、
それを支える周りの環境があってはじめて表現活動は成り立ちます。
作品は施設での日々の支援と密接に関係し、障害特性、発達支援、
支援員とのコミュニケーション、
そして地域とのつながり方などさまざまな要素が絡み合って、
その延長に「表現」が立ち上がってくるのです。
障害のあるアーティストからどのようにして作品が生まれるのか、
どんな地域に暮らし、支援者とどんな関係性を持っているのかは、
作品を目にしただけではほとんど見えてきません。
一人ひとり生きている世界は異なり、
「障害者」と一括りにしてしまうと見えなくなるものがあります。
障害がある人が生きている世界のそれぞれ異なった背景を理解してこそ、
彼らの表現の真のリアリティが見えてきます。
アートは障害のある人のもうひとつの言語。
コミュニケーションツールとしてのアートを介することで、
これまで見えていなかったものが視覚化されます。
「about me 6~わたしを知って~この町でいきる」は
福祉や障害というスキームではなく、
表現をめぐる普遍的な人間の物語を可視化しようとする試みです。
about meの“me”は、作家のことを指し示していますが、
同時にそれは支援員や“わたし”のことでもあるのです。
芸術・アートをめざしていないからこそ切実にあるいは無心に表現された作品は、
芸術という制度を超えて人の心を打ち結果的に「芸術」となるのです。
